感謝をするにも素直さというカロリーを使う。
今週のお題は「感謝したいこと」である。
どちらかといえば感謝より謝罪が多い日々なのだが。
さて、感謝というのは、はたして喜怒哀楽のいずれに当たるのだろうか。
喜や楽での感謝については大変分かりやすい。
レアなガチャを一発で引き当てた日には全身から変な汁が出てきて、地下帝国から救い出された45組を超える勢いで圧倒的感謝を捧げている。
哀の場合なら、どうだろうか。
腕の中で死んでいく戦友に対して「ありがとう…!」と思いを告げる場合などは、悲しみつつ感謝の思いが湧き出てくるのかもしれない。残念ながら当方が立ったことのある戦場はフォートナイト位なので、仲間が散っても「奴は我らの中でも一番の小物…」と四天王ムーブを決めていたため、よく分からないが。
怒についてはもはや意味不明で、
「てめえ!ぶっころしてやるありがとうよ!」
というツンデレを超えた情緒不安定にも程がある謎の言動となる。もはやツン怒羅だ。
とまあ感謝とその付随する感情について考えてみた上で、お題に戻るわけなのだが。
ここ最近で感謝したいこと、というと驚いたことに、特にない。
先回りしての言い訳となるのだが、別に他人に礼の一つも言えないような無礼者というわけではないし、感謝の言葉を告げる機会ならいくらでもあった。
ただそれは、例えばコンビニでの「ビニール袋はご入り用ですか?」という確認に対して「あだいじょぶすあざす」と高速で応答したアレであったり、ゴミ捨てに行った際に先客がダストボックスの蓋を開けたまま保持してくれているのに対して「あさーせんたすかりますあざすさむいすねふひひ」という3バイト位に挨拶、謝礼その他を無理やり詰め込んで言語崩壊したソレであったりする。
「感謝」という尊い行動に対して、当方の感情は喜怒哀楽のいずれでもなく「無」であり、さらに強いていうなれば「恥」が一番近いのだ。
人は大人になって社会性を身につけていくと伝え聞くが、こと感謝については幼少期のほうが上手に出来ていた気がする。
近所の見知らぬお婆さんに謎のお菓子一つ貰っても、テンション最大値でありがとう!と告げることが出来ていた。
大人になるにつれて、感謝ひとつ示すにも余分な感情が邪魔をして素直に告げられなくなってしまったのは、悲しいことである。
ということで、今一度幼少期の率直な感謝を示すべく、直近で感謝を捧げることができる対象を探してみた結果、ソシャゲのクリスマス&福袋イベント一択であった。
今年のイベントでは推しキャラが引けた際には運営に感謝のメールを送るなどして、失った感情を取り戻したい所存である。