子供にとってのピザ=ガン極まりするヤベー奴。
今週のお題「ピザ」である。あんなに薄いのにハイカロリーとか物理法則先生に謝罪すべき。
さて、日本におけるピザの食べ方といえば概ねにおいて二通りであろうと思う。
即ち、外食で少人数用のオサレなピザを食べるのか、デリにバリーして自宅でピザパーティーを開催するか。
当然我が家においては、自宅で食べるの一択である。
そもそも外食で食べるピザというのは、古来から日本で愛されてきたピザとは異なる、別物の何かだ。
超絶技巧かよ、と突っ込んでしまうような芸術的に薄い生地に、今日野菜やら熟成ハムやらが乗り、ハーブが散らしてある状態である。
私のようや空気を読めない不適合者でも、て手掴みで食らいつくには抵抗がある。
「フォー…ク…?」と生まれたてのように不器用にカトラリーを使うしかないのだ。
正味、窮屈である。
ピザを食べる時は自由で、何というか救われてなきゃあダメなんだ…と孤独のグルメモードとなってしまう。
やはり、我々が愛すべきピザはデリのバリであろう。
ジャンボサイズのピザがデン!炭酸飲料がドン!なんかクーポンでついてきたサイドメニューがポツリ。もはや様式美だ。
そして思い出して欲しいのは、子供の頃のピザを食す際のトキメキや興奮である。
他家は知らないが当家では、ピザはクリスマスや誕生日など子供心にスペシャルな日に決まっていた。
まず、選ぶ段からして既に楽しい。
店ではないので、幾らでも悩むことが出来る。
ハーフアンドハーフなぞ無いから、真に食すべき一枚が決まる迄、チラシと睨めっこ。
親が痺れを切らしてアンチョビなど入った子供受けしないピザを頼んでしまうまでがお約束であった。
届くまでの楽しみもまた格別である。
昔はよく30分以内に届かなければ無料!という交通事情を無視したチャレンジ企画をやっていた。
電話を終えてから「スタート!」と時計を見つめる。
早く食べたいが、遅れたら遅れたでタダで食べてしまえるというお得感。
どっちに転んでも嬉しい楽しいというスター状態に陥るのである。
このサービスは、流石に最近では聞かなくなったが、代わりにテイクアウトはもう一枚無料、という謎サービスが変わりできた。
元々デリピザのサイズ感は異常なのだが、それがもう一枚無料。
モヤシの値段と同じくらい経営が心配になるレベルである。
まあ大抵食べきれずに翌日の朝食となり、朝から胃もたれ胸焼けするまでがワンセットな辺り、人間の業を感じさせる哲学的な食べ物とも言える。
大人なるとさすがに物の単価も分かるようになり、デリピザのお高さも充分承知している。
それでも臨時収入などあれば「今日はピザでも」といそいそ電話をしてしまう私がいる。
そしてまた届いたピザの楽しさと旨さは、あの頃と相違ない。
むしろ変わってしまったのは私のほうだ。
今回もまた胸焼けを耐えながら体重計と睨めっこするのであった。