ヨングダHP

日々の事、趣味、気になった事の徒然。

孝行したい時に親はなく、愛社したい時に職はない。

古来から言われる「孝行したい時に親はなし」。

 

若い頃には、ふーん、と聞き流していたものだが、自分も両親もめっきり老け込んできて、会うのも年に数回となってくると割と身に迫ってくるものである。

たとえ両親が元気だとしても安心はできない。というか不摂生な生活態度を省みると、特濃の血流が日々ハッスルしているこちらの方が先に「あがり」になる可能性は十分にある。

 

そんな訳で、若い頃よりは両親のことを気にかけるようになり、父母の日には小生意気にもブリザードフラワーなんぞを送ってみたり、親孝行(訳:お小遣いをせびる)ようになった私であるが、この年になって、もう一つ新たな格言を実感することとなった。

それが「愛社したい時に職はなし」である。

 

コロナがアンゴルモア状態入っている世情からすると、無職へのレベルアップなど通信講座で取得する程度の有資格者であるが、そこは勘違いしないで頂きたい。

 

私の場合、コロナに全く関係なく盛大な自爆によるものなので、世の失職された方々の名誉の為に、付け加えておく所存である。

 

むしろハロワにおいて「コロナさえ無ければねえ」と便乗して隣席のおばさまと談笑したので、コロナにより多少何かを得たレアな無職と言えるだろう。

 

とはいえ夏頃まで「社畜を描け」と課題を出されたら自撮り写真を送りつければ単位を貰えそうな私である。

正直、職を辞した後は開放感もあった。

 

奥さんも「しばらくはゆっくりしたら」と言ってくれたので、脳トレに日々励んだり、自転車で何十キロも走ってみたり、もはや熟練の域に達した「すぐ飽きてやめる日記」をつけ始めたりしたのである。(※お察しかとおもうが、この日記である)

 

しかし、ガッツリ寝て、ソシャゲ周回して、ゲーム実況でクリア気分を味わうという高コスパのレクに勤しんだある夜、勉強に座りながら言葉をポロリした。

 

「あー、仕事してえ」

 

呟いてダブルで驚いた。

一つ目は、夢にまでみたノンストレス生活の中で、刻み込まれた己の社畜号の深さである。前世で陰陽師に「来世は働け」と調伏された可能性が高まる事案である。

そしてもう一つは、んなこと呟く輩が就活中ですらないという厚かましさであった。我がことながらドン引きである。

 

一度自覚してからは転がり落ちるのも早かった。

テレビや本で雑学を学べば「これは仕事に行生かせる知識である」と眉を寄せ、夢を見れば昔の職場でバリバリ仕事をこなす。

働いている時にはビタイチ沸かなかった愛社精神が、無職になった途端ストップ高を起こす謎現象に見舞われていた。

 

これが少女漫画なら「あれ…アイツの事が気になってしまうこの気持ち、まさか…」

とイケメンが冴えない女子への恋心を自覚する名シーンなのだが、実態は冴えない無職が今更になって、失った社会性に右往左往しているだけである。

 

まあ長々と書いたが、要するに無職をエンジョイするにもそれなりの才能が必要であるということだ。

 

いかなブラック企業であっても「社会に属している」という安心を与えてくれていたという事実を、フリーダムとなり初めて学ぶ事ができたのであった。

 

ちなみにもし仮に元会社に戻れたとしても、感謝の気持ちは3日で忘れて、また無言でトイレに立ち、個室でソシャゲ周回を熟す日々に戻るのは確実だと思うが。

 

釣り逃した魚やイベント終了した限定キャラがやたらと惜しく感じる現象と同じなので、うっかり社畜ギルドへの再加入を焦ることのないようにしなければならない。

 

よって、皆さんも親が元気なうちにはできるだけ足繁く顔を見せ、頂いたお小遣いでガチャをぶん回す、というのが後悔しない生き方というものなので、転職を考えている方は参考としていただきたい。

 

 

 

君が急に寒くなったねといったから、今日は老化記念日。

今週のお題は『急に寒いやん』だそうであるが、まず端的に言ってしまえば、それは要するに「老い」だ。語尾が狂ってるところから見ても間違いない。

 

まずもってである。情報が氾濫するこの時代に、ダメージを受けるような急な事なんぞ、そうそう起きはしないのである。せいぜいが地震か隣宅からの火災、課金ゲームの運営終了位のものだ。

 

まあ確かにここ最近は寒くなってきたとは思う。

だが、思い返せば朝のニュース番組でも繰り返し「来週からは気温がぐっと下がり〜」などと告知がなされていた気がする。

 

薄手のカーディガンなど一枚羽織るものがあると良いでしょう、などどアドバイスされ、Tシャツかパーカーの二択しかねえよ、と朝から陰鬱な気分になっていたので、間違いないだろう。

 

また、家でテレビは一切見ません、エンタはYouTubeで十分です、という頑固一徹な方々もいるだろうが、その場合、その頑固さを形成する程の人生経験があれば、本来問題ないはずだ。

 

幸いにして私の知る限りでは、まだ春夏秋冬がひっくり返るほどの天変地異は発生していない。

なので安心して欲しい。今年去年と同様に、クソ暑い夏から肌寒い秋へとクラスチェンジした筈である。

 

ではなぜこうまで度重なる告知、経験を経て「急に」寒くなったと口走ってしまうのかといえば、それは老いによる処理能力過多のためだ。

 

希望溢れる若人達にはまだ分からない境地なのだが、我々のように老化を友としている者たちは、とかく生きるのに一杯一杯なのである。

 

分かりやすく例えてみると、型落ち据え置きゲーム機な上、長年の使用によりボタンが半分使えない状態、が近かろうか。

 

ジャンプも出来ずに、どうにか誤魔化しながら横移動(※社畜プレイ)しているところに、「あ、そこで1UPポイントあるよ」と言われても「うるせえ」としか言いようがない。

 

我々にとっては、日々の告知は「いつか来るかも知れない情報」であり「それに対処するのは直面したその時の自分」と丸投げするだけのものなのである。

 

こういう奴らは例え毎年のことであっても、年末年始にクローズされた銀行の前でしょぼくれて立ちすくんだりするのである。なんだただの私か。

 

賢明な諸兄は「いやー、急に寒くなってきましたね〜」と口走る私たち(同僚上司)がいたならば、老化の始まりを疑うが良いだろう。

情報流出などセンシティブ案件にはタッチさせず、シンプルなお仕事を発注することをオススメする。

会社は倒産せず我々はハッピー。WIN-WINだ。

 

 

お芋様は、我々の高さまで降りてきてくれるジャニーズ的存在。

今週のお題「いも」である。

 

芋が好きだ。

むしろお芋様と呼ぶべき存在と言っていい。

しかし世間一般では、お芋様の扱いはあまり良くなかったりするのが謎である。

 

そもそも大概の一般家庭において、お芋様は、馴染み深い必須の食材といえる。

 

サラダ、煮物、カレーの具。

洒落た家ならヴィシソワーズなんぞも作るかもしれない(ウチでは出ない)。

貧乏学生から上流階級まで、食卓に登場可能なポテンシャルの高さを見るがいい。

 

さらに、夕食の献立だけではない。

レクリエーション部門においてもその活躍が光る。

縁日の屋台では、ジャガバタは欠かせない。

バターたっぷりの(マーガリン?知るか。美味けりゃいい)ジャガイモは、正義の体現である。

友達が集まったのなら、取り敢えずのポテチやじゃかりこだ。袋を爆発させて笑いこげるのも良き思い出となろう。

 

スイーツ系にも隙はない。

古くは焼き芋、芋まんじゅう。

大学芋からスイートポテトまで、時代を超えて愛されている。

 

そしてさらには、エンターテインメントの世界においても、お芋様の活躍は止まらないのだ。

最近流行の異世界なにがしを一例にあげると、「食糧難といったらコレだぜ!目には毒があるから気をつけてな!」と主人公が差し出すのは、そう、お芋さまである。どんだけ万能なんだよ。

 

ここまで紹介しただけでも、その優秀さは十分伝わっていると思うが、ここで、お芋様の扱いの話となる。

 

例えば「貴方はまるで、松茸のような方だ」と言われると、よく分からないが満更でもない気分になる。

一方で「貴方は芋のような方ですね」と言われると、要するに「この芋野郎が」と言われている訳で、なんなら丁寧に言われた分、より一層腹正しい。

 

前述のごとく活躍しているのに、なぜ「いも」という単語には、どこか泥臭い、使えないような悪口めいた雰囲気が出てしまうのだ。

かくいうお芋好きの私だって「ハイ!イモボーイ!」と出会い頭で言われたら、手が出てしまう自信がある。

 

思うに、お芋様はその有用さを鼻にかけない所が、最高に格好いい所である。それが、仇になったのではないか。

 

庶民にも貴族にも、祭りにもホームパーティーにも、子供からお年寄りまで。

貴方のニーズに答えます、という尊い姿勢を貫きすぎて、「どこにでもいる」=「そんなに価値がない」と錯覚されてしまったのである。

 

お芋様がこの立場を脱却するには、もう、絶滅危惧種位にまで希少性を高めるしかない。

世界お芋様協会(そんなのがあれば)が動き、芋が高級食材となった未来、我々は昔語で孫に話すのかもしれない。

 

「ーーむかしむかし、お芋様という野菜があってな。よく育ち、保存がきき、主食にもオヤツにもなる魔法の野菜だったのじゃよ」みたいな。

料理はするが、下手というのが一番タチが悪いという話

どうやら自分は料理が下手、らしい。

 

らしいという部分には「自分では認めたくないのだが、指摘されたのであれば認めるにやぶさかではないよ」という謙虚な姿勢の現れである。もっと褒めて欲しい。

 

料理が下手と言うと、まるで普段から全く台所に立たないようなイメージを持たせるが、別にそんなことはない。

むしろ料理は「好き」と言える位で、休日は3食作っても構わない程だ。

 

そうなると「料理下手」という評価は、自分のことをよく知らぬ、他人の誹謗中傷かとも思うのだが、その評価を下したのが再直近にある妻なのが困りどころである。

 

例えばである。

最近、胃腸の、調子が悪そうな妻だったので、「取り敢えず食物繊維であろう」とキノコを大量に購入した。

これらを佃煮にでもしてしまえば、常備菜にもなるというナイスアイディアである。

 

そして、さっそく皆さんご存知の楽天レシピを起動する。

膨大なレシピの中で、自分がチョイスする基準は「工程が5個以下」である。

 

必要な調味料は唐辛子、醤油、みりんのみという理想的なレシピをサルベージし、調理を開始した。

 

まず、唐辛子をいれ、みりんを投入。

続いて醤油を入れるところで、ふと閃く。

「減塩したほうが健康ではなかろうか」。

妻の健康にも気を使うこれまたナイス判断だ。

そうしてレシピの半量醤油を投入することとして、ふと気がつく。

そうなると、やはりバランスは取らねばと思う。

なんとなく、そこらにあった料理酒を追加で入れてみたりした。

 

出来上がったキノコの佃煮を食べた妻のコメントは以下の通りである。

 

「甘い。お菓子みたいな味がして気持ち悪い」

 

調理の工程を説明して弁明を図ったところ、

 

「麺つゆを使えば」

 

…漫画やアニメによく登場する「料理下手」は、キッチンで爆発させたり、紫色の塊を出したりする。勿論、リアルにそんな奴はいない。

 

いるのは一見してなんの変哲もない顔をした、失敗作を差し出す、自分のような奴である。

 

「オレ、普段から自炊するんだよねー」という奴が出す料理には、多少警戒したほうがいいだろう、という話である。